あの人の根っこ|『roots in field』内田皓基さん

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葉っぱ、茎、花を支える根っこは土の中。
普段目には見えない、あの人を支える強い根っこ。
「今の活動、創作、仕事をするきっかけは?」
「好きなことを続ける原動力はなんだろう?」
なんだか気になるあの人の“根っこ”=“ルーツ”を掘ってみよう!
今回は『roots in field』の内田さんのところへ訪れ、お話を伺った。

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    Mana Hasegawa

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    Mana Hasegawa

プロフィール
roots in field|内田皓基(ひろき)さん
神奈川県川崎市にて、約50年以上続く植木農家『内田植木』に生まれる。現在は、合同会社『roots in field』で、育成から手がけた樹木を使い、植栽工事・植栽設計・植栽コンサル・植栽を使った空間演出をしている。種や苗から何年、何十年もかけて育てた樹木を生かし、さまざまな人と場へ樹木との出逢いを届けている。ブレイクダンスを大学生の頃からしており、最近の日課は家族みんなでブレイクダンスすること。

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渋谷から田園都市線で30分。向かったのは、都心だけではなく二子玉川やたまプラーザにもアクセスしやすい、神奈川県川崎市宮前区。一歩道に入ると住宅街が広がるこの街に、突如大きな“森”のような場所が現れる。そこは『内田植木』が生産・管理する約2ヘクタールの“樹木の畑”です。

今回お話をお聞きするのは、神奈川県川崎市にて約50年以上続く樹木農家『内田植木』に生まれた『roots in field』代表・内田皓基(ひろき)さんです。畑で育てた樹木を使い、植栽工事・植栽設計・植栽コンサル・植栽を使った空間演出をしています。

「内田植木を継いでほしい、とはまったく言われなかったですね。植木屋の“う”の字もなく育ちました。でも、父のほんの一言で変わったんです」

森に迷い込んだかのような気分になる、樹木の畑

内田さんの活動範囲は、時にはマーケットやイベントに出店し樹木を販売したり、結婚式の装飾をしたり、ワークショップの講師をしたりと幅広い…!まずは内田さんに、『内田植木』と『roots in field』では、どんなことをしているのかを聞いてみました。

「『内田植木』の方は、生産・卸し。いわゆる植物を畑で苗から生産・管理して卸す、という仕事をメインにしています。サブの軸としては、直売所で植木を売っていますね。宮崎台駅というところに結構広い直売所がありまして、内田植木の委託販売エリアみたいになっているんです。そこで、鉢物やおっきい樹木を販売しています。
私がやっている『roots in field』のメインは植栽工事・植栽設計。いろいろな業界のイベントやポップアップで植物を使った空間演出なんかもしています。また、街づくりや新しい商業施設、オフィスビルが建つ時の植栽コンサルとして入ることもあります。室外だけではなく、室内も合わせてコンサルティングすることもありますね」

50年以上続く樹木農家ですが、実際はそれよりもかなり前から家業として植木屋をしている内田家。なんと、内田さんで約8代目!?

「最初は、山でぴょろっと生えた小さな木の子どもをとってきて、育てる。時代的にも盆栽が流行っていたので、盆栽用の苗木を育てていたところからスタートしています。そこから、針葉樹、広葉樹と落葉広葉樹といろいろな木を育て始めたのですが、途中に戦争が起こりました。
私のじいさんが、いわゆる公共緑化木と言われる、常緑樹・広葉樹・針葉樹を混ぜて育てる、という今の形態にシフトしたのが50、60年ぐらい前です。その後父が入って、私が入ってという流れですね」

『roots in field』植栽設計・工事事例(内田さん提供)



『roots in field』植栽設計・施工管理・施工事例(内田さん提供)

おおよそ8代にも渡り続いてきた内田植木。ですが、内田さんは今までやってきたことを継承するだけではなく、『roots in field』という新しい事業を始められています。そこには、一体どんな想いが込められているのでしょうか?

「これは家業あるあるかもしれないんですけど、3代と同じことをやっていても、数字面だけではなく、いろいろな面で広がらない気がしたんです。私は元々ずっとダンスをやっていたので、別の業界に繋がりが強くて。何か別のことを始めてみたい、と思っていたんです。
ただ何の実績も知識も技術もなかったので、1年間内田植木で働き、1年弱ぐらい別の大きい植木屋に行き、また内田植木に戻ってきました。
ちょうど私が25、6歳ぐらいの時に、instagramに毎日1本ずつ木の投稿していたんです。私が育てている木をピックアップして、学名・英名・和名と、自分が育てて感じたことを書いていました。その投稿がきっかけで『青山ファーマーズマーケット』のイベントに声がかかったんです!」

メラレウカやアカシア、ユーカリなどのネイティブプランツの数も豊富

内田さんの活動が広がっていくきっかけになった『青山ファーマーズマーケット』のイベント。そのイベントでは、畑に遊びに来て、まだ畑に植っている樹木の中から使いたい木を選んで掘るという、まるで“バイキング形式”!いわゆるレンタルの植木は、すでに鉢に入ったものが一般的である中、土に育つ姿を見られるというのは貴重な体験。より植物へ興味を持つきっかけになり、イベントも大成功!

このイベントでの経験から、内田さんは畑に埋まっている樹木をレンタルするという、生産・卸し以外の業態を始めるようになりました。次第にレンタルから派生して、どんどん人と繋がり、仕事の幅も広がっていきました。着実に仕事の幅を広げている内田さんですが、いまだに『内田植木』を継いだという気持ちがあまり強くないと言います。

「継ぐ、という気持ちが昔も今もあまり強くないんです。自分への見積もりが低いのもあるのですが、幼少期に合気道で継承の考え方について教えこまれていたのも影響しているのかもしれません。継ぐって、相当な経験値と実力と技術、知識がないとできない。並大抵の努力じゃ到達できないものだと思うんです。
父は、継ぐことにも進路にも全く口を出さずに私を育ててくれました。なので私も、明治大学を目指して勉強していて、あとは試験を受けるだけという時期に『農大の造園学科に行ってほしい』と父に言われました。今まで植木屋の“う”の字もなかったのですが、父のこのたった一言で変わりました。
驚きが大きかったです。ですが、ずっと畑で育ってきたし、じいちゃんと父の姿を見て育ちました。植木屋さんってかっこいいな、という気持ちはずっとありましたね。植物も好きなので、一緒にやりたいという気持ちの方がずっと強かったです」



娘や息子には、いろいろな世界をつくってあげたいんです。その世界の一つとして、植木屋もあってほしい。娘や息子に限らず、友達が植木屋をやってみたいと思ってもらえるように、植木屋という世界の土壌を今はつくっているところです

畑を歩く内田さんの後ろ姿と、樹木の木漏れ日

『roots in field』を始め、植木屋という仕事の枠を着実に広げている内田さんですが、今は順調に掲げていた目標に向かって、1つずつクリアしていけていると言います。その目標には、内田さんの娘さんや息子さんへの想いが大きく関わっています。

「身の回りの緑が、どんどん少なくなっているんです。この辺りも5年ほどでものすごく緑が減って、マンションや家に変わっています。私が小さい頃は、この辺りの森の中でずっと遊んでいたんですよ。それこそ、木の棒1本で一日中遊んで過ごしていました。
これは私のエゴかもしれませんが、そういう経験を20年30年後もしてほしい。昭和や平成の感じを、ここには残しておけたらと思っています」

内田さんが娘さんや息子さん、次の世代のために残しておきたいと思う理由には、ある1つの曲が根底にあります。それは、『禁断の惑星 feat. 志人』という日本語ラップの歌詞です。

草花に憂さ晴らし 恨みつらみ妬み僻み海原に放って
今すぐに 知らぬふりはよせ 後世に残せ それぞれの個性

−−−禁断の惑星 feat. 志人 より

「歌詞の中に、『後世に残せ それぞれの個性』というワードがあるんです。これが当時ブレイクダンスしていた20代そこそこの私に刺さって。ずっと私の根底に残っているんです。自分の下の世代、私の娘と息子の世代に残していきたい」

枝も木も。森全体、すべて愛情のこもった内田植木の樹木。



事務所の裏には、実験的に育て始めたという“苔”から新芽がちらほら顔を出していた

「私は結構『勉強しなさい』という家で育ったんです。いろいろな習い事もさせられたし、習い事や勉強の優先順位も明確に決められていて。なので全然、自主的じゃないんです。学校しか世界がない感じが、すごく嫌でした。
だから自分の娘や息子には、いろいろな世界をつくってあげたいんです。娘はダンスが好きなので、そういうダンスや芸術の世界をつくってあげる、とか。その世界の一つとして、植木屋もあってほしい。『植木屋ってこんなにかっこいいんだよ』というのを、いろいろな見せ方でつくっておいて、娘や息子に限らず、その友達が植木屋をやってみたいと思ってもらえるように。植木屋という世界の土壌を今はつくっているところです」

今一緒に動いているチームのメンバー、周りの友達にも子どもが生まれ、同年代のお子さんが増えたという内田さん。娘さんや息子さん、そして身の回りの子どもたちという後世が、植木屋の世界にいつでも来られるように。内田さんは、『roots in field』で植木屋の土壌を耕しています。



「ちょっと背伸びすると、とんでもない転び方をするんです。だから、まずは手の届く範囲の人を助けたいし、楽しませたい。気がついたら手が伸びてきて、よりたくさんの人に届くようになるかもしれない」

『水やり三年、苔はり十年』知識・経験が積もり、いっぱしに水やりができるようになるには三年かかるという園芸業界で有名な言葉があるそう

内田植木のHPには、現在2つのプロジェクトが並んでいます。それは『Nekko』と『Fuzei』というサービスです。

「『Nekko』では、その名の通り木の根っこを生かしたものになります。命を終えた木の根っこを愛でることで生かす。流木は、どこかから流れ着いたものですが、『Nekko』はそうではなく、誰がどこで育てた木なのかが分かる、畑で最後まで育て上げた樹木の根っこです。
根っこのサイズにもよりますが、最低でも10年。長いものだと内田植木と同じ年数を持つ木もあります。そういう、木が育った歴史や経緯も含めて伝えたいですね」

農園に集められた樹木の根っこたち。どれも個性的で、根っこだけになった姿もかっこいい!



『Nekko』事例。普段は土の中にある根っこに光があたる(内田さん提供)

もう一つの『Fuzei』とは、春夏秋冬で樹木を入れ替えるデリバリーレンタルサービスです。旬の樹木を届けて入れ替えてくれる『Fuzei』は、殺風景だった空間にふっと季節を運んでくれます。

「『Fuzei』を始めたきっかけは、私の妻の影響が大きいです。妻は植物を育てるのが得意じゃないんです。すぐに枯らしてしまう。そんな妻が『1シーズンだけだったらまだ育てられるかも』と。
植物って1回買うと、一生ものにもなりうる。ずっと付き合っていく可能性もあるものなので、ちょっと植物を育てたい人からするとハードルが高いものでもありますよね。そういう人の入り口として、3ヶ月ごとに春夏秋冬に適した樹木を準備して、届ける。一旦試しに育ててみてもらえたら、と思って始めました」

自分のできることをコツコツと続ける内田さん。ひたむきに葉や枝を伸ばす樹木の姿と重なります

「より広くたくさんの人へというよりは、まず身の回りの人に影響を受けたり、喜ばせたりしたいという想いが強いですね。例えば、日本全国のみんなを植物好きにしようみたいな事よりも、まずは手の届く範囲の人を助けたいし、楽しませたい。私の身の丈に合うことをする、というのを大切にしています。
ちょっと背伸びすると、とんでもない転び方をしちゃうんです。公私ともに『大丈夫!?』と心配されちゃうくらいに転んじゃうし、不器用。だから、まずは自分の手の届く範囲でやってみる。気がついたら手がだんだん伸びてきて、よりたくさんの人に届くようになるかもしれない。なので、今の自分のこの2つの腕で囲えられる、触れられる範囲の人たちに良い影響をもたらせたら良いですね」

一見関わりのなさそうな『ブレイクダンス×植木屋』の組み合わせ。内田さんだから生まれる、人と植物の輪が広がっています

習い事も勉強も、仕事も。どちらかというと受動的だった内田さんが、唯一自分で始めたこと、それは“ブレイクダンス”です。大学で出会った“ブレイクダンス”の考え方、そして出会った人との繋がりが今でも内田さんにさらなる広がりをもたらしてくれています。

謙虚な言葉の裏には、内田さんの努力やひたむきな植物への愛を感じます。そして、何よりも家族への愛。だからこそ、内田さんの周りには一緒に影響を与え合える“チーム”のような仲間が集まるのかもしれません。


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